カテゴリ:父のこと( 11 )
初盆・・・そして苦労ぼくろ?

なにもせん無宗教葬じゃったとはいえ父の初盆なんで、
主人のほうのお墓参り等は早めにしてもろ~て実家に帰っとりました。

我が家には迎え火、送り火用の素焼きの皿もあるけど
母に聞いたら「迎え火も送り火もせん。精霊送りもせん。」とキッパリ!
見事というか、頑固というか・・・まぁ無宗教じゃけんエエとしましょ。

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親戚のひとたちは、ほぼみなさんお墓守ったり仏壇守ったりしとるけん、お盆は動けんからゆうことで、前もって来てくださった方がほとんどじゃったけど、13日に来てくださった父のいとこさん。
「庭の花じゃけど。お盆ゆうたら菊じゃけど、菊ばぁじゃ つまらん思うて」とキレイな花を
持って来てくださいました。
父の遺影を見ながら、「ほんとに温厚なOOさんらしいエエ写真じゃわ」と涙ぐんでくださった
いとこさん。
本当にありがたいです。
そして、お供えにビールが多いことにもビックリされて^^;
まぁ、ふつうは素麺じゃったり水ようかんとかじゃったりするもんな。
「私が全部いただきます!」の言葉にもビックリ(汗
「お父さんに似て、飲める口なんじゃなぁ」
スミマセン・・・父より飲みますemoticon-0139-bow.gif



その1週間前。
ちょうど母の通院の付き添いで実家に帰っとった時に、
母の姉と妹が一緒に来てくれました。
40代後半に、ご主人を亡くした母の姉。
ご主人が始めた事業が軌道に乗りはじめたばかりじゃったそうで
その後の苦労はすごかったと思います。
子供の頃に祖母から「あんた苦労ぼくろあるなぁ、苦労せにゃエエけど。」と
言われたそうで。
苦労ぼくろ???

初めて聞いた!
聞いたら肩にあるホクロを「苦労ぼくろ」ゆうそうで。

私「えーーーーっ、私、両肩にあったんじゃけど」
おば「じゃ~あんたが一番苦労しとるわ」
私「でも、血が出たりしだしたけん両方とも取ったんよ」
おば2人、母「取ったら、もう大丈夫じゃろ、もう苦労せんわ」

え・・・と、おば2人が言うのは構わんけど母に言われたら、なんでか
ムカつくんじゃけどemoticon-0146-punch.gif

取ったのは5年前。
それから苦労・・・・・・う~ん
苦労ゆうても誰かに助けてもろ~たりしとるけん
そうゆう意味では、苦労しとらんかもしれん。


なんだかんだと賑やかに過ごすことができました。
これもお盆のおかげ・・・そんなんゆうたら父が亡くなったからみたいな
言い方になるけど、父が亡くなっても みんなが来て下さるおかげです。
ありがとうございました。


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by HW37 | 2013-08-17 18:36 | 父のこと
散骨はさよならじゃない
母に電話した。
四十九日がすぎ、散骨も終わり、ガクッときているのではないかと心配しながら。
電話に出た母の声は、ふだん通り。
「散骨済んで寂しいことねぇ?」おそるおそる聞いてみる。
「大丈夫、大丈夫」母の声は明るい。
「いつもしゃべっとるけん」と母。
「また、おばさんら来てくれたん?」と私。
「そうじゃの~て、お父さんと毎日しゃべっとるけんな」と母。
母の心にいつも父はいるんだ・・・泣きそうになったけど、わろ~てごまかした。
私の方がガクッときとるんかもしれん。


ここでは私が入会しているNPO法人にお手伝いしてもらって散骨した様子を
書いています。
一般の散骨業者とは、また様子が違うと思いますので参考までにお読みください。



散骨の日。天気は上々。
ただ黄砂がすごくて港にむかって走っていても近くの山が霞んで見える。
宇野港には時間よりずいぶん早めに着いた。
港の道路には車、車、車。人、人、人。
何事?もうおまつりは終わったはずなのに。
今日は、おまつりのために来ていた日本丸の出港の日だった。
車を停めた主人は「ちょっと行ってくる」と出港の様子を見に行った。
私は母と父の遺骨と一緒に伯母たちが来てくれるのを待つ。
父も日本丸の出港なんて見ることないから珍しいと見に行っとったかも。

車のドアを開けたら気持ちええ風が入ってくる。
うちの方では感じんかった風が、こちらでは結構強い。
波は予報では0.5mじゃけん穏やかなはずじゃけど・・・
後で聞いたら、今日は風がきつかったそう。
ゆっくりゆっくり日本丸が出港して行って人がだんだん帰っていく。
伯母たちが来てくれた頃には、ずいぶん静かになった。
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父も楽しんだかな?



立会人の会員のかたと、同じく会員で船を出してくださる方に挨拶をして船に乗る。
船といっても定員11名の小さい船。
これ揺れそう、酔い止め飲もうか?
お酒には強いけど船には弱い。主人はその逆(笑)
でも酔い止め飲んだら眠気がすごくて頭がクラクラするから、飲むのはやめることにした。
予定の11時より少し早く出港。
波が高いかと心配したけど、私は そんなに揺れを感じんかった。

10分程で散骨する場所に到着。
母と私で粉にして水溶性紙に包んだ遺骨を海に。
水溶性紙はあっという間に溶け、粉になった父の骨が海へと沈んでいく。
通夜も葬儀の時もずっと泣いていた伯母は散骨しながら泣いてくれた。
私はその時、涙は出ず。
「ありがとう、またね」そう父に話しかけた。


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海に撒いていいのは、花びらとお供えは液体類だけ。菊はイヤだったので
白や紫のカーネーション、洋花の花びらを朝、がくから取った。
父が亡くなる前の晩まで飲んでいた日本酒、ビール、コーヒー、お茶も撒いた。
船はその場を三回まわった後、汽笛を鳴らした。
その汽笛を聞いた時、とうとうこの日が来たんだと思って涙が出た。
港に戻る途中、ずっと父の骨が散骨された海を見ていた。

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1時間の予定だったけど30分程で帰港。
船を出してくださった会員さんが、詳しい海の地図(海底地形図))に印をつけたものを
くださった。


散骨で気持ちにも区切りがつくと思っていたけれど、実際そうではありませんでした。
区切りをつけずイジイジ生きるということではないけれど、
日にちや行事で区切らなくてもいいじゃないかと今は思います。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

父が亡くなる前の様子から散骨まで、長い長い日記を読んでくださり
ありがとうございました。
自分でもここまで書くつもりはなかったのですが、自分も しっかり覚えておきたいのと
これから自分達が経験することだからと言ってくださった方々に後押ししていただき、
書くことができました。
本当に ありがとうございました。


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by HW37 | 2013-05-24 17:52 | 父のこと
散骨もタイヘンじゃー! その2

ここでは私が入会しているNPO法人での、お話をさせて
いただいております。

一般の散骨業者では機械での粉骨作業をしてくださいますし
水溶性紙ばかりでなく、散骨当日までボトルに入れて保管してくださるところも
あります。

私が入会するNPO法人では基本的に自分達で骨を砕く作業をします。
自分達で砕くなんて、「じぇじぇじぇー!!!」と思われるでしょう。
私も他人の骨を砕こうとは思いません。
私の愛した、私を愛してくれた父の骨だからできるのです。
骨を自分達で砕くというお話を会でお聞きした時に、これでこそ本当に
心のこもった散骨だと思いました。
どうしても、辛すぎて自分でできない場合は会員の助っ人の方が来てくださいます。
ただ、助っ人の方が粉にする作業をやり始めると、遺族の方も自分もやってみようという
気持ちになられるそうです。

母は最初、自分は砕けないと言っていました。
無理じいするつもりはなかったので、私ひとりでするつもりでした。
だけど、いざ作業するとなったら母が「私もするわ」と言ってくれて。
嬉しかったです。
実家には車庫がありシャッターもあるので、シャッターを閉めてしまえば
外からは何をしているかは見えません。
コンクリートの床に大きなシートに広げ骨を骨壷から出し、
父が仕事で使っていた金づち、木づちで ふたりで叩きました。
悲しいとか申し訳ないとかといった気持ちは全くありませんでした。
母も笑顔で話しながら叩いてくれました。
こんな車庫のない人は、どうやって骨を砕く作業をされるんだろうとは
思いましたが。


叩くだけでも相当細かくなりましたが、まだまだこれからです。
何年も使ってなくて捨てるつもりだった大きなすり鉢とすりこぎ棒で細かくなった骨を
粉にしていきます。
そこまでする???と思われるかもしれませんが、
「散骨が節度をもって行われる限りは違法性はないとしている」のです。

いかにも骨みたいなのが海にプカプカ浮いていたら、みなさんどう思うでしょう。
粉にした骨はNPO法人から有料でわけていただいた水溶性紙(数秒で水に溶ける)に
何個かに分けて包み、当日まで湿気が入らないように、ジップロックに入れて
保管しました。

リアルすぎる話ですみません。


あとは当日、晴れてくれることを祈るばかり!


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by HW37 | 2013-05-22 16:50 | 父のこと
散骨もタイヘンじゃー! その1

天気も良く風も気持ち良いなか無事、散骨を終えることができました。
ただ、それまでにイロイロ大変なことが(そう思うたのは私だけか?)ありました・・・


戒名をつけてもらわず、自由葬だったとはいえ四十九日を区切りに
御香典をくださった方々に香典返しを送りました。
仏式なら熨斗は満中陰志ですが、志で。
無宗教だったことを知らなかった業者からは
満中陰志ではありませんか?と確認が入りましたが。
挨拶状も仏式の文面ではおかしいので、どうしようと検索していたらありました!
無宗教用の挨拶状が注文できるサイト。
便利な世の中ですね。


そして散骨。
以前から散骨に興味があった私は、父が病気になる前から散骨のことを
調べていました。
散骨といっても数万円のところから数十万円かかるところまで、いろいろ。
その後、父にガンが見つかり転移し・・・昨年秋、調べていた散骨のお手伝いをしてくださる
NPO法人の会が岡山で開催されました。
興味を持っておられる方は多いようで、100人近く集まったそうです。
でも私が・・・たぶん最年少だったかと。
実際に散骨を行った方たちの貴重な、お話も聞くことができました。
そのお話を伺って、すぐに入会しました。


「ちょうど四十九日が5月18日になるので、その日に散骨したいのですが」
と告別式の後、しばらくたってからNPO法人に連絡しました。
そのNPO法人では岡山ですと宇野港(玉野市)から出港して個人散骨のみとなります。
「GWを挟むので(NPO法人がお休み)手続きが忙しいですが大丈夫です」
と返事をもらい、契約書を交わし契約金(場所、個人散骨、合同散骨によって
金額は変わります)を振り込みました。

しかーし!振り込んだ日の夜、情報誌を見ていた主人が「おい、18.19日に
港まつりがあるで」と!
は???港まつり???
まつりに行ったことはありませんが、日本丸が入港して見学できたり海に関する
いろんなイベントがあったり、1日で数万人の人出があるイベントです。
(実際、18日は38,000人、19日は30,000人の人出だったそうです)

うっそーーー!!! 
18日に契約したのにどうするんよーーー!!!


NPO法人に連絡しようにもGW前半、初日の夜。
あと2日待たんと連絡もできん!
その時から2日間、どよーーーんとした気持ちで過ごしましたemoticon-0156-rain.gif
主人から「気になるのはわかるけど、連絡しようがねぇんじゃけん悩んでも仕方ねえよ」と言われましたが、私の悪いクセ、ネガティブモード全開につき聞く耳持てず。
港まつりがあることは母は知らんし、私以上にネガティブな母に知らせたら
とんでもないこともなるーーーどうするん?キャーーー! 
相当イタカッたかも・・・いや、イタかったです。


連休明け、朝いちで電話しました。
すると「ごめんなさい、担当者が今日お休みなんです」
ギャーーー!
頭の中グルグルグルグル。GWじゃもん、ついでに1日休むやこ~
ふつうじゃったりするけど、今回は自己中につき、そんなことも思えず。
翌日、やっと連絡がとれて「18.19日にイベントがあるのでしたらムリです。
他の日を何日か考えておいてください」とバッサリemoticon-0106-crying.gif
こりゃーーー!あっさり言うなー!

じゃけど散骨終えた今では、わかるんです。
「散骨が節度をもって行われる限りは違法性はないとしている」とはいえ
まだまだ「骨を撒く!?」という考えを お持ちの方が多い世の中。
できるだけ、目立たず散骨は行うべきということを。
結局、主人に仕事を休んでもらい(鬼嫁)平日に行うことに。
18.19日以降の週末がしばらく詰まっておりますので(滝汗

つづく・・・


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by HW37 | 2013-05-21 21:17 | 父のこと
友と語る・・・

ツイもfbもしとらずブログだけ見てくれとる県外に住む友人から
全然更新しとらんことに心配してメールくれた昨日の朝。

仏式なら、四十九日でした。
本来なら散骨をする予定じゃった日。
このことは、また後日。


友人は昨年、お母様を亡くされとって今は日帰りで、
ちょくちょく お父様の様子を見に帰ってきとるそう。
あ・・・友人ゆうても私より年上です、白髪ねぇけど(笑) 本人は2.3本あるゆうとりますが
それは白髪言わんのよーっ!!


日帰りじゃけん、ムリして時間つくってもろ~てもワリーなぁと思いつつ、
せっかくなんで会ってもらうことに。
1時間程話すつもりが2時間になってしまい、帰りの電車を遅らせてしまうことに。すまぬ
でも話せてよかった。
3年ぶりの再会。
3年前に、まさか次会う時にお互いの親が亡くなった話をするとは
想像もしとらんかったわけで。


お互い最期を看取ることができて、「それだけでもありがたいはずなのに
それでも あんなことやこんなこと思うたから早く亡くなったんかも・・・と
思うてしまうんよな・・・」とか看取った人間じゃないと話せん話をいろいろ。


で、友人が知り合いから聞かされた言葉。
「親孝行という言葉があるけど、子孝行という言葉もあると思うんです」と。
「なるべく子供の負担にならんように、と思ってタイミング良く(というのは語弊があるけど)
亡くなるのは子供に対しての孝行ではないでしょうか」と。
そうなると、何年も寝たきりの方を介護されとる人はどうなるん?という反対意見も出る
じゃろ~けど、今回は私らのような立場になった子供としての考え方ですので。
せっかく子孝行してもろ~たんじゃけん、しっかり生きていかんとな。

火曜日は散骨。
天気になりますように by 雨オンナ


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by HW37 | 2013-05-19 23:23 | 父のこと
父の告別式から3週間が過ぎ・・・

散骨の手続きをGW挟みながら、なんとか進めとったら、
衝撃の事態に凹んでおります。
今更ジタバタしても、ここでこんなことを書いても、どうにもならんのじゃけど
口角は下がったまま、眉間のシワも深く深く・・・
私、こんなにパニクる人間じゃったか?



前に書いたことと重なることもありますが、父を送って気づいたこと、思うたこと

急がんとおえん役所、年金の手続き。
年金とか受け取る時は手続きしても実際に受け取れるのは
何ヶ月も先なのに、亡くなった時の手続きは急げーって、
事情があるんじゃろ~けど そんなに急がんでもと思うけどなぁ。
私が動けるからええけど、年金事務所に行った時に年配の方が来られとって
準備する書類の説明を聞くだけで頭を抱えとられた。


急ぎはせんけど、次々出てくる手続き。
それぞれ違う準備する書類、それぞれ違う記入する書類。
私の印象は保険は簡単(病気による死亡につき)。
書類さえ揃えば郵送でOK。
銀行は複雑すぎる。
銀行に手続きする書類を取りに行っただけでも、父親との続き柄を
出してくださいとか。
言われるじゃろ~なぁと戸籍謄本持って行っといて正解。
苗字が違うけん、赤の他人じゃったらいけんゆう対策なのは、わかるよ。
にしても手続きの書類取りに行くだけで半日仕事じゃったりするのは、どうよ?
行員さんも慣れてないとかで、分厚いファイル片手に電話しとったり。
銀行の窓口で「法律で決まっておりまして」ゆう決まり文句をよ~聞くけど、
それなら準備する書類も法律で一律に決めたら?


義母の時は週に1回は家族集まっての供養、GW明けに墓地の移転、
香典返しの数もはんぱなかったから送る段取りも大変じゃった。
そして四十九日法要があった。
私は法要の数日前に食中毒を起こした。
でもあの時は医師に「普通は高齢の方や子供がなるんよ。この年齢なら、
ならんと思うけど余程疲れとん?」と言われるまで疲れとると思うてなかったんよ。
今回は四十九日法要もお墓のこともないのに、6年で体力も気力も落ちたもんじゃわ。
特に気力。
ちょっとしたことが気になって、ちょっとしたことでイッパイイッパイになって、
イライラして落ち込んで。
ひとつ手続きが終わると力が抜けて寝込む感じ。弱すぎるでー

実家に帰って微笑む父の遺影を見るとギスギスした気持ちが落ち着く。
ありがとう。



そうそう、どうでもエエことじゃけど・・・
葬儀が終わって役所へ手続きをしに行った日の1時間の
空き時間に購入したんは、東京イ〇ンのブラックフォーマルバッグ。
ふだん使う財布、ふだん使う小物入れ、携帯が入るサイズ。
上はファスナー閉めても余裕。両脇には携帯ポケットもあります。
ただサイズとしては、少々大きいかも。
身長の高い私は気にならんけど。

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なんでそんなに慌てて買うことになったか?
エエ歳して、こうゆうバッグを持っとらんかった?
いやいや、かぶせ式でマグネットで止める、ほとんどの方がお持ちのタイプ。
このタイプのバッグを私も持っとりました。
葬儀に参列する時は私はサブバッグも持つけん、入らんもんをサブバッグに入れりゃ~
エエと思うとったんじゃけど今回、葬儀場側から言われたことは
「バッグはひとつだけにしてください」。
遺影もったりせんとおえんから、持つものは最低限にとのこと。
義母の時も言われたはずじゃけど覚えてねぇなぁ。

私が持っとったバッグは「小さいけれどたくさん入る」とのふれこみでネットで購入したもの。
元々、持ち物が多いけん「これはエエ!」と注文して届いた時に実際に入れてみた。
ふだんの財布は、入るけどキチキチ(財布が大きすぎ)。
小さい財布に入れ替えたら余裕じゃがと思うて、バッグを入れてある箱に小さい財布も
入れとったんじゃけど、入れ替える時間なし!
ほんの数分よ、その時間がなかった。
時間はあっても心に余裕がなかったんかも。
結局、ふだんの財布を入れて小物入れを入れただけで
マグネット止まらずイライライライラ。
貴重品ロッカーもあったけど、そこに預けとることも忘れそうじゃったんで
結局、財布を主人のカバンに入れてもらうことに。スミマセン


教訓・物の多い私の場合、バッグは実際に見て入れてみて買いましょう!
クローゼットオーガナイズ後に購入しとったら、こんなヘマしとらんかったな(汗


靴やバッグは、「その時にしか使えんブラックフォーマルのもんと決めつけんでも」と
おっしゃる方もおられるでしょうが、そこは私の考えなのであしからず<(_ _)>


久しぶりの更新が相変わらずな内容で申し訳ありません。

ふつうの記事に戻らんとなぁ・・・と思いつつ、なかなかその気になれん私です。


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by HW37 | 2013-04-28 14:00 | 父のこと
無宗教葬(自由葬)で父を送る その3
告別式の日。

いとこに買ってきてもらった栄養ドリンクを一気飲みして、
立飯を無理やり食べました。
受け付けは、いとこ2人に変わってもらいました。
司会の方と最後の打ち合わせは主人にも同席してもらいながら。
泣いてしまって挨拶文は読めないだろうから、最初の一行で
バトンタッチを頼みました。
主人も同意見。
だけど司会の方が「たぶん娘さんは読めると思うんですよ。
とにかく読めるとこまで読んで、無理ならすぐに代わりますので」と。
お通夜の時に泣いていた私を見ていたはずなのに、
どうして読めると思うんだろう?と主人と不思議がりました。
そして開式から1時間後に出棺予定と、仏式の告別式と同じタイムスケジュール。
また音楽をダラダラ流して時間稼ぎをするんだろか?
でも、そうならないように前日お願いしたんだけど・・・と思いつつ式場へ。



式場には親族が先に入るし一番前に座っていた私は、父の友人や元同僚の方達が
どれくらい参列してくださったのか、わからないまま告別式は始まりました。

お通夜は司会の方が持っていた歌詞の入った曲を流しましたが、
今日は電子ピアノを入れて演奏だけ。
父が好きだった曲は明るくテンポのいい曲なのですが、ピアノで葬儀に合うように
アレンジしてくださいました。

前日のお通夜では焼香は母以外は2人づつ行って、
あっという間に終わってしまい音楽を ひたすら聞くという状態になってしまったので、
告別式では焼香を1人づつさせて欲しいとお願いして母、私、主人、親族の後、
一般の方の焼香になった時、「お2人づつ お願いします」ともうひとつ焼香台が、
出てきました。

この時初めて、友人や元同僚で参列してくださった方が多いんだ・・・と気づきました。
告別式が終わってから芳名帳を見たら、父が勤めていた職場の方も
来てくださっていました。
定年後も勤めていたとはいえ、リタイアしてから8年にもなるのに、
こんなに来てくださるなんて。
元同僚の方も奥様と一緒に来てくださったり、常に奥様の介護をされてらっしゃる方も
来てくださったり・・・
お父さん、本当にありがたいね。お父さんを誇りに思うよ。



私の挨拶。
立って読むのが礼儀ですが、無理そうだったので座って読ませていただきました。
以下、挨拶文です。
告別式では病院名を申しましたが、ここではAとBにさせていただきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


本日は ご多忙のなか、父のために、
ご参列くださいましてありがとうございます。

父は病気のことは人に言わないと言っておりました。
ですから、父が病気であったことを ご存知ない方も多いと思います。

父に叱られるかもしれませんが、この場を借りて
みなさまに 少しお話させていただきます。


父は2010年4月、初期の肺ガンと診断され手術を受けました。
退院後は通っていたスポーツクラブに再び通うほど元気になりました。

しかし2011年2月には転移が確認されました。
その時点で父は、これ以上の治療を望まないとのことでしたので、
緩和ケア外来のあるA病院にうつり、通院することになりました。

転移したといっても何の症状も出ておりませんでしたので、
先生とは世間話をするために通院していたようなものです。

いつまでも、この状態が続くようにと願っていたのですが、
その年の12月、転移したガンが気管支を圧迫するようになり、
必要に迫られ2012年1月から2ヶ月間入院し放射線と化学療法を受けました。

ずいぶん体力が落ちましたが、スポーツクラブにも戻り、
2012年12月に在宅酸素療法を始めるまで通っておりました。

在宅酸素を始めた時点で訪問看護の段取りをしてくださったり、
最期に父が、お世話になったホスピス、B病院へのパイプ役になって下さった、
A病院の先生には感謝しております。


2013年3月21日、突然 体調が悪くなり、ホスピスに入院しました。

入院から数日後、父本人に残り時間が少ないことを告げられました。

父は、その言葉を私達も驚くほど冷静に受け止め、自ら、きょうだいに
連絡をし、自分の言葉でお別れを言うことができました。

父への残り時間の告知は、いくら本人がガンだと知っていても、
いくらホスピスでも、むごすぎるのではないかと思ったのですが、
突然の病気や事故で亡くなる方も多い中、
「お世話になりました、ありがとう」と言うことのできる人が果たしてどれくらい
いるだろう、そう考えると父は幸せだったと思います。


私も主人やまわりの人たちのおかげで、母と病院に泊まり込み、
ずっと付き添うことができました。

B病院の先生、そして看護婦のみなさんは、明るく優しく父に接してくださり、
少しでも しんどかったり眠れなかったりする夜も、すぐ対応してくださり、
私達のことも気遣ってくださり、最期をこのホスピスで過ごすことができて、
本当に良かったと 思っております。
ありがとうございました。


許可をもらってホスピスでもお酒を飲んでいた父です。
今頃は息苦しさからも解放され、満開になった桜を見ながら
お酒を飲んでいることと思います。


父の強い意向により、遺骨は散骨し、お墓も造りません。
法要もいたしません。
みなさまには、お花見の時期になりましたら
楽しくお酒を飲んでいる父の姿を思い出して下さると嬉しいです。

本日は本当にありがとうございました。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


司会の方が、おっしゃっていたように最後まで私が
挨拶の文章を読むことができました。
主人も後から「絶対読めんと思うとった」と。
自分が一番ビックリしています。
父が私に力をくれたのかもしれません。

読めたと思った安堵感からか、それまでは父の遺影を見ても
涙が出なかったのに
父の遺影は「よう読んだなぁ」と褒めてくれているような気がして、
その後は泣いて泣いて。

式が終わり、最後のお別れという時、痩せた父を無理に見ていただきたくはなかったので
一般で参列してくださった方には先に式場を出ていただくように司会の方に
言っていただいたのですが、みなさん残ってくださり棺に花を入れてくださいました。
お父さん、みんな残って花を入れてくれたんよ、よかったなあ。

出棺は時間通りの1時間後。
風が吹いて寒かったけど、あちこちに咲いている桜は満開でした。



親戚や父の幼なじみの方達に言っていただいたこと。
「自由葬ゆうてどんなんか思うとったけど、娘さんの挨拶で お父さんのことが
ようわかって、ええ式じゃった。」
「とにかく遺影がお父さんらしゅうてエエ」と。
ジャージ姿で、おちょこを持って笑いながら乾杯している姿です。
元の写真で一緒に乾杯したのは私。
主人が撮ってくれました。
その時は、その写真が遺影になるとは思ってもいませんでしたが。
いとこからは「あんないい写真にされたら、ワシらは何やっても勝てれんわ」とも。
勝ち負けじゃないけど、やったな お父さん。



私が若い頃は、マジメな父を面白みのない人と思ったり、
会話も全然なかったりしましたが、母が病気になったり、
父が病気になってからは、たくさん話をしました。
父とたくさん話せたことは、私にとってかけがえのない宝物です。
ありがとう、お父さん。
私のお父さんでいてくれて本当にありがとう。
これからも見守ってください。
日本酒飲みながら・・・


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by HW37 | 2013-04-20 00:02 | 父のこと
無宗教葬(自由葬)で父を送る その2

急ぐ手続きは済んだとはいえ、まだまだ手続きは残っています。
今日は手続きのための書類をもらいに、2ヶ所(AとBとします)へ行きました。
どちらも前もって電話で聞いて本店に行ったんだけど、
Aは書類準備に時間がかかるとのことで
「1時間後に来ていただけませんか?」
へ???
小さい支店に行ったならともかく本店じゃろ?
1時間あいたから、とBに行くと そこでは専門の方とテレビ電話で話しながら
書類の記入箇所のチェックや必要書類の確認を。
Aよりややこしい手続きなのに、「こうゆう順番ですれば段取りよくいきますから」と
アドバイスもいただいて。
1時間すぎた後、Aに戻ると書類は準備できていたけど、それでもまた電話で
聞いてました。
本店なのに、どこに電話しょん???
大きな違いは、Aはお付き合いのある支店に行かないと手続きできない=何ヶ所もの
支店とお付き合いがあると、すべての支店に行かないといけない。
Bはお付き合いのないところでも、まとめて手続きできる。余程の面倒な手続きが
ない限り1ヶ所で、できる。

お付き合いも考えんとな・・・とはいえ、こうゆう時にならんとわからんけど。
はぁ・・・疲れました。
肝心の手続きは、これからじゃけど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


お通夜の日。
式は19時から。
司会の方との打ち合わせが15時に始まり、終わったのが17時。
仏式などの通常の打ち合わせは式の2時間前からだけど、
司会の方も慣れていない自由葬とのことで、打ち合わせを
早めに行ったそうです。


打ち合わせが終わって控室に行くと、親戚や友人の方達が来てくださっていました。
翌日の仕上げの料理の数とか、出棺の際にバスで行くか自家用車で行くか、
そのほか、たくさん数時間以内に決めなくてはいけないことがあって、
アタマの中イッパイイッパイのなか親戚に挨拶したり、父の幼なじみの方達と
お話しして泣いたり。
みなさん、こんな感じなのかなぁ・・・私だけか。


19時に始まった、お通夜。
自由葬だからと 主人が受け付けしてくれたけど、
最後に会場に入ってくることになってしまい、 それはおかしいから
明日の告別式は誰かに変わってもらおうとか、
音楽大きすぎ(新しい施設なので音響設備が良すぎるそう) 、
音楽を何曲も流しすぎ(時間稼ぎで仕方ないか)、
焼香の順番の説明がわかりにくいから変えてもらおうとか・・・
父のことを想うより、式で気になることばかりアタマに浮かんで。

こんなにシラッとした気持ちで通夜を終えてしまうのかと思ったけど、
30分程で(自由葬なので早い)終わったあと、棺に入った父を
声を上げて泣きながら見ている父の幼なじみを見て、
私も泣いてしまい、もう止まらない。
70半ばを過ぎた人達が父のために声を上げて泣いてくださるなんて、
父は、どれだけ慕われてたんだろう・・・
父は、どれだけ幸せもんなんだろう・・・
ありがくてありがたくて涙が止まりませんでした。


泣きすぎて半ば放心状態で、通夜振る舞いをする食事室へ。
こちらはテーブル席。
私達もだけど、ヒザ悪い、腰悪い年配の方が多いので葬儀をする時は、
食事をする時はテーブル席で、と考えていたのでよかったです。
ちなみに6年前、義母の時は控室と通夜振る舞いをするところは
同じで和室の大広間でしたが、こちらは完全に別れています。
一旦座ったものの、みなさんにお酌しないと・・・とフラフラ立ちあがったけど
親戚が「くたびれとんじゃけんエエよ、みんな適当に飲むんじゃけん。
食べれる時に一口でも食べられよ」と言ってくださりお言葉に甘えて着席。

とはいえビールはノドを通るけど食事は、なかなかノドを通らず。
そのうち司会の方が来られたので、気になったこととか、
もろもろ細かい打ち合わせ。
この時点で、火葬場へ行ってくださる方の人数とか翌日の葬儀後の仕上げまで
残ってくださるかどうか私が聞いておかないといけなかったのに、
頭が全然回らず結局、司会の方に「火葬場へ行ってくださる方は?」
「その後の仕上げに残ってくださる方は?」と全部聞いて頂きました。
人数をメモしてくれたのは主人。
なんだろう、葬儀を前に力が抜けたみたい。
情けない・・・



着くのが夜中になるかもしれないと言ってた、私のいとこ達も
早い時間から来てくれて「こんな時じゃないと会えんようになったなぁ」と。
みんな忙しい年代なのに、かけつけてくれて 一人っ子の私としては
本当に嬉しかった。

控室に戻って、いとこが泊まってくれるというので親戚への挨拶に疲れたという母には
先に寝てもらって(控室はベッドルームにベッドが4つあったり、お風呂が2つあったり、
リビングダイニングや和室もあるマンションのような造り)、他のいとこや
おじ、おば達と父に何回も献杯しながら夜中まで賑やかに飲みました。
私は、さすがに飲むのは控えめにしたけど。
賑やかに飲むのが好きだった父は楽しかったかな?それともうるさすぎたかな?
昨年、葬儀を出した いとこは妹がいるけど、ほとんど1人で決めたそうで、
お互い「大変じゃったなぁ」と。
私は まだ済んでないけど(笑)


12時にお開きにしたけど、泊まってくれる いとこと数年ぶりに いろいろ話して
寝たのは3時前。
9時には控室をチェックアウトしないといけないので(本当にチェックアウトという
言葉を使うんです)8時に起きればいいか~と寝たら、
7時すぎには「新聞とパンのサービスです」と控室のドアをドンドン叩かれました。
寝過さないようにとの配慮ですね(汗


今日は告別式、参列しれくださったみなさんへの挨拶文を読みます。


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言葉を入れていただきますよう、お願いいたします。理由についてはコチラを、ご覧下さい
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by HW37 | 2013-04-19 20:55 | 父のこと
ありがとうございます

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父へのお供えにと、たくさんのビールや日本酒。飲める娘が、ガッツリいただいております。本当にありがとうございます。
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by hw37 | 2013-04-16 20:25 | 父のこと
無宗教葬(自由葬)で父を送る その1

今回も長文になります。
宗教観などに違和感をお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんが、
私達が納得したうえでしておりますので、ご理解ください。


父にせん妄の症状が出て、もってあと1週間と告げられてから
母と、父が亡くなったら誰に連絡するか告別式はどこでするか
どのようにするか話すようになりました。
朝、母が起きて病室に戻っても、私もすぐ寝れはしないので
父がまだ寝ている間(睡眠薬の注射を止めても、すぐ目が覚めるわけではなく
2時間近く寝ていました)、病室の畳のとこで小声で話をしていました。

「お父さん、自分の葬式をどうしてほしいやこ~、一言もゆうとらんのよ。」と母。
私も聞いてはいませんでしたが、まだ手術をする前の検査で病院へ通っていた頃、
長い待ち時間に友人の家族葬の話を私にしてくれたことを母に伝えました。
その方が亡くなった時、連絡があって「亡くなったけれども家族葬にするから参列は
ご遠慮ください、香典もお断りします」という内容だったと。
父は他の友人達とも相談して結局、葬儀に参列せず香典も送ったりしなかったそうです。
「それまでは家族葬ゆうのもエエなぁと思うとったけど、
本人がそうゆうとったんかもしれんけど、葬式に来てくれるなゆうんは、
言われた方は寂しいで」と。
母もそのことは覚えていて父と「参列するなゆうんじゃったら、なんで亡くなったことを
ゆうてきたんじゃろ。あとから、家族葬で送ったゆう連絡でよかったのに」と
話したそうです。

家族葬にして、その時はラクだったけど後から亡くなったことを知った友人、知人が
1年くらい自宅に次々来て、これなら葬儀の時に来てもらえばよかったという
話も聞いたことがあります。

病弱な母にその応対をさせるのは厳しいので、父の携帯に入っていた友人、
元職場の同僚だった人たちには連絡しようと決めて書き出しました。
母が友人や同僚の名前を覚えていたので助かりました。


葬儀の形はどうするか。
父は次男、母は次女で守るお墓は、ありません。
私が主人の家のお墓を守っているのを見て、大変だということも思っていて、
父は葬儀の話はしなかったけど、「戒名はいらんし、お墓もいらん、
骨は散骨してくれたらエエし、法事もせんでエエ」という話はしていました。
母もその考えに賛成していました。
主人の家のお墓のまわりには無縁墓がたくさんあります。
そんなふうになるのはイヤだと。
それなら散骨して、あとは心の中で思うてくれたらエエと。
これも私や母に対する父の優しさですね。

最初、戒名は俗名にして仏式でしようかと思っていました。
でも、その後の法要はしない。
だけど夜中、眠れないまま父に付き添っていて父の病気のことをご存じない方達に
私が父の病気の経緯をお話できたら・・・と思うようになり、
そこで思いついたのが自由葬(無宗教葬)です。
ネットや雑誌などでは、よく目にするようになりましたが
実際にされる方はまだまだ少ない葬儀の形。
葬儀社によっては引き受けてくださらないところもあるそうなので、
事前に電話で確認しました。

場所は事前に自由葬ができると確認した、岡山で一番新しい場所ですることに。
これは亡くなってから連絡して、利用できるかどうかが決まるのですが
運よく、利用することができました。
父も建設中の建物を見ていて、「すげえ建物じゃのー。葬式するとことは思えん」
と言っていたので、中を見てビックリじゃったかな?


亡くなった時間からすると翌日に通夜、翌々日に告別式なのですが
付き添いで疲れているのに、そのうえバタバタと通夜、告別式となると
途中で倒れてしまうかもしれないので、
亡くなった翌々日に通夜、その翌日に告別式と1日余裕をとって行いました。
おかげで眠れなくても横になる時間ができ、助かりました。


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ここからは父が亡くなった後の打ち合わせの話になります。
大きな打ち合わせは会館スタッフと司会の方との2回。
他にも小さな打ち合わせは何回もありましたが。
母はすべて私に任せるけん~とのことで、私ひとりで打ち合わせ。
会館スタッフとは祭壇はどれ、食事はどれ・・・というお金にかかわってくる
細かい打ち合わせ。
ひとつひとつ悩みながら、ひとりで決めていくのは大変でした。
主人の母の時にも経験したのですが、あの時は私以外にも
主人や主人の妹、妹のご主人もいたので相談できましたし。
打ち合わせに3時間近くかかり終わった後は、グッタリ。
ここでグッタリしてたんじゃ先が思いやられるけど。


最近は少しづつだけど自由葬で葬儀をされる方も増えていて、
ここの葬儀社でも、今までの自由葬は仏式で使う屋根付きの祭壇の屋根を取って、
花を飾るやり方をしていたそうですが、この会館を造るにあたって
初めて自由葬用の祭壇を造ったそうです。
柱?がブラウンのシックな洋風の祭壇でした。

自由葬だと花をたくさん飾るので飾り方をどうするかでも悩みました。
花祭壇の見本写真を見てもピンとこず(有名人の葬儀で見る緑地に白い菊とかで
ウネウネと波というかヘビのようにキッチリ色分けされた祭壇(わかりますか?)
ばかりで)、ウネウネじゃなく自然な感じで色は白と青や紫を使って、
菊はあんまり使わず洋花で・・・と悩みながらも注文しまくり。
実際にできた祭壇は私の思っていたイメージに近いものだったので
嬉しかったです。

あと仏式だと白い着物(経帷子・きょうかたびら)を着せるけど、それも無し。
私が父の日にプレゼントしたジャージの上下を着せて、わらじの代わりにスニーカー、
被っていた帽子を棺に入れることに。
あと紙パックならOKということで、いつも父が好きで飲んでいた日本酒も。
ただし火葬場によって入れていいもの、いけないものがあるので
葬儀社の方に聞いてください。

焼香の代わりに献花を手配していましたが、
主人が「ワシらはエエけど年配の人は戸惑うんじゃねん?焼香することで
供養になると思えるんじゃねん?」と言ってくれたので、そうかと思いなおし
焼香に変更。焼香は仏式じゃが!というツッコミが出そうですが、
自由葬だから仏式のことでも取り入れたいものは取り入れていいので。



司会の方との打ち合わせも大変でした。
仏式なら流れがキッチリ決まっているけど、自由葬となると始まりと終わり以外の
流れを自分で決めていかないといけない。
「みなさんに私から挨拶をしたい」という思いはありましたが、他になにがしたいとか、
父はこんな曲が好きだったから流して欲しいとかもない。
司会の方も困られたと思います。
自由葬って、音楽で送るというのが基本なようです。、
父で思い浮かぶ曲は少なかったのですが、桜の季節だからこんな曲は?とか
お父さんの世代ならこんな曲は?とか、私が送りたい曲は?とかいろいろアイデアを
出してくださいました。

仏式でよくある伯父さんが読む親族代表挨拶は、
私が読む文章が挨拶になるから無しで。
ただ、その挨拶も泣いて読めないかもしれない(いや絶対読めない)ので
司会の方にも同じ文章を渡して、泣きだした時点で代わりに読んでもらうことに。
メモしてあったのを急いで入力したので、内容が変だったら直してもらおうと
読んでもらったら目を真っ赤にされて、こちらがビックリ。
こういった司会をされる方って泣かないものだと思っていたので・・・すみません。


参列される方も戸惑われたと思います。
父が亡くなったことをを親戚に連絡した時、なんのきっかけだったか
無宗教式で葬儀をするということを話したところ、その話を聞いた他の親戚から
「無宗教ゆうたら数珠は持っていってエエんか?服は喪服でエエんか?」と
聞かれました。
数珠は持ってきてもらっていいし、喪服でお願いしますと答えました。
あとからネットで見たら、自由葬は数珠を持参せずに服装も平服で、と
おっしゃる方もいらっしゃるようですね。
平服でと言われても困ると思うんですが・・・


親戚、友人、知人達への連絡も私ひとりでしましたが、
信じてもらえなくて話が長くなったり、場所の説明や住所も大きな声で
ゆっくりと言って、メモをとってもらうようにお願いしたのですが、
打ち合わせ中に確認の電話が、かかってきたり・・・と、これも大変でした。



友人が「この忙しさは悲しみを忘れて、悲しさを和らげてくれるために
あるのよって前に親戚から言われたの」と教えてくれました。
たしかに連絡や打ち合わせとかで、イッパイイッパイになって
悲しいと思ってるヒマは、なかったなぁ・・・と。



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by HW37 | 2013-04-12 11:30 | 父のこと